全体論に至った(20210626、11日目)

今日は10時くらいに起きた上やることが多かったのでやけに短かったな~。

昼ごはんに買った納豆巻の米が冷たくて硬くなりかけてて萎えた。こないだ同じスーパーで同じ納豆巻買ったときはそんなことなかったから、昼過ぎに行ったからかもしれない…

好きな食べ物に書いてもいいレベルで納豆巻が好きだ。母曰く、子供のころかららしい。寿司屋に行くと必ず頼んでしまう。子供用の可愛い皿で来る。

あとは春巻きも好き(今日も食べた)。巻いているものが好きなのか…?

 

 

就活をしている友人に「私の長所を教えてほしい」と言われたことが何度かある。

今日もLINEが来た。比較的仲の良い友人なのだが、いざ長所を教えてほしいと言われると、申し訳ないけど結構思いつかない。その度に、私はその人のことを総合的にみて好きだったり、何かよく分からないけど気が合うと感じていたりして付き合いを続けているわけで、彼/彼女が「○○だから」付き合っているわけではないな、と思う。たとえば、Aちゃんが「優しいから」という理由だけで彼女と友達を続けるということは(少なくとも私には)考えにくい。

 

以前友人に「僕が死んだら悲しい?」と聞かれたことがある。彼は仕事ができて頼りがいのある(と周囲から評価されている)人なので、色々なコミュニティで役職を持っているような人物だった。この質問はメンヘラのやつではなく、自分から全ての役職や地位がなくなったとして、それでも本当に必要とされているか不安になったということらしかった。

その気持ちは分かる気がする、と当時も思ったし、今も思う。一個人に対する説明が要素の羅列で尽くされた場合、全く同じ要素を持っていればそれは置換可能であり、その人である必要性はないのでは?と。"AとBは全く同じ要素を持っている"というのは確率論的にはあり得るはずだ。

 

要するに「全体は部分の総和ではないのではないか」という話で、どうせ哲学者が議論してるだろうと思って調べてみたら案の定あった。凡庸な私が思いつくことなんてとうの昔に凄い人が気付いているに決まってる。「全体論」という考え方らしい。今度ちゃんと調べてみよう。

 

そういえば、社会心理学では「役割理論」という考え方があって、人々は様々な"役割"をその場その場で演じているだけで"本当の自分"など存在しない、と考えるという話を聞いた。この考え方はややラディカルではあるが、一理ある気がする。でも私は"本当の自分"を仮定した方が精神がおかしくならずに済みそうだ。でも"本当の自分"なんて存在しないような気になってくる瞬間もあるから、そういうときには助けになる考え方かもしれない。

ダ・ヴィンチ・恐山の日記を読んでいると、彼は独在論の議論を度々取り上げていてとても面白いなと感じる。感化されて(?)、最近興味ある。

  

 

 

明日は検定試験を受けた後シャニマスのCDを借りにいって「最高」を手に入れます。